男脳・女脳の嘘と「エセ脳科学」の罪深さ

オピニオン

生物学的に、男女は違う生き物です。まず体のつくりが全然違いますよね。でははどうなのでしょうか。

最近まことしやかに囁かれる言説に、男脳・女脳というのがあります。簡単に言うと、男女の脳のつくりの違いが様々な性格の差として現れるとし、中でも最大の違いは「男性の脳は解決を求めるため男性は論理的、対して女性の脳は共感を求めるため女性は感情的」である、という主張です。この男脳・女脳言説によれば、男女がしばしばケンカになるのは解決を求める男性と共感を求める女性、目的の違う者同士が延々とすれ違ってしまうためだそうです。

書店の心理学コーナーに行けば男脳・女脳関連の書籍がずらりと並んでいるし、「脳科学の専門家」を名乗る人々が盛んに男脳・女脳言説を唱え、本を書いたり講演したり、テレビ番組に呼ばれたりしています。「専門家」の肩書とともに。

こうなるといかにもありがたい学説のように感じられてきますが、実際にはMRIを使った最近の研究により、男女の脳に構造的な違いはないことが明らかになっています。

男脳・女脳言説が厄介なのは、水素水だのお米にありがとうと言い続ければ腐らないだのの義務教育レベルの知識があれば全くのデタラメだとすぐにわかるタイプの疑似科学と違い、あたかも正式な学説であるかのような響きを持ってこちらに迫ってくるという点です。事実、いわゆるエリート層で男脳・女脳言説を信じている人々に出会うことも珍しくありません。

 

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影響力を持つ男脳・女脳 〜グリコの炎上〜

グリコが「パパのためのママ語翻訳」なるアプリを出して炎上したみたいです。その名も「こぺ」。グリコオリジナルのキャラクターが男女の脳の違いについて解説するという体裁を取っています。
https://www.copeapp.jp/tellme/

炎上を受けてか大半のコンテンツは消されてしまっていますが、男脳・女脳の違いに注目して、ママ(女性)の言葉の真意を「翻訳」してパパ(男性)に教えてあげることで子育て中のパパとママの間のすれ違いをなくそう、というコンセプトのもと作られたアプリです。以下が実際の例。

 

ママの発言:「これするの大変なんだからね!」

ママの本音:「感謝してね♡」
「大変だったらやらなくていいよ」は逆効果。努力に労いの言葉をかけてあげよう。
(公式アプリより)

 

……どうでしょうコレ。ワンオペ育児が社会問題となっていますが、日常の家事・育児の場面を想定すれば、ママがパパに助けを求めているのは明らかです。ここでパパがやるべきことはただひとつ、黙ってママを手伝うことです。ママが欲しているのは解決です。共感ではありません。そりゃすれ違うわ!
「ありがとう」と100万回言われたところで洗濯物の山は片付きませんし子供は泣きやみません。これでは女性の声をないがしろにしている、女性をバカにしていると非難されるのも無理はないでしょう。

その他の具体例は割愛しますが、だいたいの「ママの発言」に対する「ママの本音」がこんな調子で「翻訳」されています。つまり、ママ(女性)は問題に対する解決策ではなく自分の状況への共感を求めているからパパ(男性)にはママに共感してあげることが求められている、もっと言ってしまえば、状況に関係なく、女性はどんなときでも共感されたい生き物だ!適当に感謝さえしとけば丸く収まる!という決めつけがベースにあっての「翻訳」です。

この企画は、「脳科学の専門家」監修だというのだからさらに驚きです。やはり例に漏れず、「男脳・女脳の専門家」でしたが……。

このように、男脳・女脳言説は、大企業とのタイアップを許してしまうほどに強い影響力をもっているのです。

男脳・女脳という神話はどのように生まれ、広まったか

日本の「脳科学」を席巻する男脳・女脳言説。いったいどこから始まったのでしょうか。

その起源は、1982年に由緒正しき科学雑誌『サイエンス』に投稿された論文 “Sexual dimorphism in the human corpus callosum” (著者:C DeLacoste-Utamsing, RL Holloway) に遡ります。根も葉もない噂由来かと思いきや、元ネタはちゃんとした科学調査だったのです。

論文の内容は、男女の脳を調査したところ、男性の脳よりも女性の脳の方が脳梁(右脳と左脳をつなぐ部分)の膨張部が大きいことが明らかになった、というものです。しかし、この論文が言及しているのは男女の脳の物理的な違いだけであって、現在の男脳・女脳言説のようにその違いによって男性は論理的に、女性は感情的になるなんてことは一切書かれていません。おそらく「女性の脳の方が脳梁が太い」という結果だけが一人歩きして、脳梁が太いということは右脳と左脳の連携が得意→女性は感情豊か→女性は感情で動く、といった連想・拡大解釈による後付けにより、男脳・女脳言説が形成されていったのではないでしょうか。

また、この調査は男性9人、女性5人からしかデータを取っていないためサンプルサイズが小さすぎるし再現性もないなど、検証手法にも問題がありそれほど信頼できるものではないという批判もあります(参考:「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか)。

男脳・女脳に分類することの危険性-差別的言説の正当化-

男脳・女脳言説は実は科学的根拠に乏しく、最新の脳科学では否定されているということがわかりましたね。こうした言説が力を持ってしまうことは科学の進歩を妨げるだけでなく、弱者への暴力を肯定しかねないという点で非常に恐ろしく、危険です。

人類の歴史の中で、もっともらしい「生物学的」な主張はしばしば優生思想と結びつき、数多の人種差別・民族浄化の正当化に利用されてきました。本当にひどい話ですが、異人種はいわば亜人で種族から違うという説が偉い学者さんたちによって唱えられ、人々がそれを本気で信じていた時代がありました(残念ながら今でもそう信じている人は少なからずいますね……)。だから奴隷化とか虐殺とかあんなにむごい仕打ちができたのです。その主張に従えば「人間じゃないもの」をどんなに傷つけてもノーダメですからね。

男脳・女脳言説とて同じです。「生物学的に、男性は論理的だが女性は感情的」という主張には、「だから女性には論理が通じない」、ひいては「女性は男性より頭が悪い」という女性への明らかな蔑視が含まれています。「生物学的に脳のつくりが違うのだから」を免罪符に、女性を一段下の「人間じゃないもの」として見ることを正当化してしまうのです。今回のグリコの件でも、女性の言葉を「翻訳」すると言っているところに、女性を「言葉の通じない亜人」として見ている意識が透けて見えます。

属性によって人間を二分し「生物学的」差異を唱える学説もどきは、社会の中でマイノリティとされる人々を迫害したいがための無理やりな根拠をつけられ、その耳心地の良さからマジョリティの支持を得て肥大化し、暴力を再生産していきます。社会の安寧のためにも、まっとうな科学が守られるべきなのです。

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