生きやすい世の中へ!未来はきっと明るいと予感できる3つの変化

オピニオン

 

女性や子供、外国人といった社会的マイノリティを狙った卑劣な犯罪を伝えるニュースが絶えず流れ、暗澹たる気持ちにさせられます。我々の生きる世界はこんなにも醜くおそろしいのか、と、世界そのものに絶望したくなることだって数え切れないくらいあります。

でもそれと同時に、世界はいい方向に向かっているな、と肌で感じる出来事も少なからずあります。今回はそれについて語ってみました。長くて読んでられないよ!て方は目次でお好きなところに飛んでくださいね。

外見に対する価値観の多様化

自分の外見的特徴に対してコンプレックスを抱く人は少なくないでしょう。というのも、古くからメディアがこぞって男女の理想的な外見を喧伝し、「これに当てはまらない奴らはもれなくイケてないぞ、モテないぞ、嫌われるぞ」と脅しをかけてきたからなのです。具体的に言うと、男性は長身で頼り甲斐があるのが、女性は華奢で、守りたくなるようなか弱いのがいい、といったことでしょう。

巷の恋愛もの漫画やドラマの主人公は、どこもかしこも大柄な男性小柄な女性の組み合わせばかりでした。小柄な男性や大柄あるいはふくよかな体型の女性が主人公になることもあるにはありましたが、その外見的特徴に基づいたギャグ要素を強めに押し出されることがほとんどでした。つまり、「普通ではない」ところにおかしみを見出すような作品の作りにされていたのですね。

ところが2016年に一大ブームを引き起こした恋愛ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、通称「逃げ恥」では、主人公となるカップルは小柄な男性と大柄な女性との組み合わせであるゆえ男女の背丈が同じくらいで、二人の関係も従来の少女漫画にありがちな「オレ様系男子が女子を引っ張っていく」というものではなく、友達同士のように肩の力の抜けた対等なものでした。そしてそんなふたりの外見は作中で特段ネタにされるわけでもなく、ごく普通の真面目な恋愛ものとして物語が進んでいきます。

一昔前なら冴えない小男として一段低く見られ、主役としては候補にも上がらなかったであろう外見的要素を持った男性キャラが、イキイキと主人公しているのです!その姿は掛け値無しに魅力的で、テレビ画面を見た私は「革命が起きた」と実感しました。きっと彼の存在が、世界にはびこる「男は頼り甲斐のある長身でなければ二流」という呪いを解いてくれる先駆けとなる、という希望を感じたのです。

同じような潮流は女性の体型についても見られます。その最たるものがぽっちゃり系の台頭。

ファッションモデルの影響で痩せていればいるほど美しいという価値観が蔓延し、女性たちの痩せ願望は世界的に深刻な問題となっています。特に日本ではその傾向が強く、無理なダイエットをして健康に支障がでるレベルまで体重を減らしてしまう女性も少なくありません。

たとえ健康体重であっても「太っている」とみなされ、親、きょうだい、友人など周囲の人からそれを揶揄するようなひどい言葉をかけられることも珍しくなく、「太っている=醜い、滑稽」の図式はますます強く固定化されてしまいます。
そんな風潮に反旗をひるがえすべく、「太っている」とされるモデルばかりを集めたぽっちゃり系専門のファッション雑誌が登場します。lafarfa(ラファーファ)が代表的ですね。それでも当初はまだいわゆるイロモノ扱いで、モデルたちの体型や雑誌の試みそのものを嘲笑するような書き込みがネットのあちこちで頻繁に見られましたし、書店などでも表立って置かれていませんでした。

しかし最近はそれらのファッション雑誌が昔ながらの一般的なオシャレ誌と仲良く肩を並べているところを書店で見かけるようになりました。また、ぽっちゃりモデルたちもTwitterやInstagramなど各種SNSでも活躍し、彼女らの容姿やファッションを魅力的と高く評価する声も増えてきています。ぽっちゃり系はもはやお笑い要員ではなく、ファッションリーダーとして市民権を獲得しつつあるのです。

自分がティーンエイジャーの頃には従来的なモデル文化の全盛期で、オシャレ雑誌を買ってきてはスレンダーなモデルたちの体型と自分の体型との差に絶望して、「もっと痩せていれば」とか、「もっと脚が細ければ」自分の体へのコンプレックスをいたずらに募らせていったのを思い出します。ぽっちゃりモデルたちの活躍は、「痩せていることこそ美の絶対条件」という呪縛から女性たちを解放し、「ありのままのあなたが美しい」というメッセージを発してくれています。

 

性差別・性暴力について「黙らない」人の増加

2018年、#Metooのハッシュタグが世界的な一大ムーブメントとなり、女性を中心にTwitterで自身の性差別・性暴力被害経験を告白する動きが国内外で見られました。女性として生まれた、ただそれだけで受けるむごい仕打ち。どの被害告白も胸が潰れるような陰惨なもので、この世界で女を生きさせられる厳しさ、不条理を実感させられました。また、いろんな医学系大学や医学部がなんやかやと理由をつけて、女性の受験生の点数を意図的に下げるという露骨な入試不正をしていたのも記憶に新しいですね。性差別に関してはかなり改善が進んだと信じていたのに、世の中にはまだ、こんな地獄のような出来事が何件も何件も起こっているのか、なにも変わってないじゃないか、勘弁してくれ……と目を覆いたくなります。

しかし、それだけ被害報告が相次ぐようになったということは、これまでは「大したことないこと」として見過ごされてきた問題が「真剣に対処すべき事態」として人々の問題意識に上がってきたということなのです。少し前は、はなから女性を人間として扱わず、「女はセクハラされてなんぼ」と開き直ってはばからない態度がもてはやされていた時代ですから、当然女性の被害の訴えなんて被害とも思われず、鼻で笑われるのが関の山でした。そして女性自身も、それを仕方のないこととして受け入れざるを得ない空気がありました。

#Metoo運動は、今までの女性蔑視に断固としてNOを突きつけるという点で、非常に大きな意義を持ちました。つまり、「臭いもののフタ」を開けたのです。「臭いもの」が巨大なフタで覆い隠されていては、見つかることもなく処分のしようもありません。今はきっと、溜まりに溜まった女性蔑視の腐臭があふれ出て、鼻をつまみながらもそのゴミを捨てている段階なのだと思います。そしてこの「ゴミ捨て運動」に協力的な人も増えてきています。女性を食い物にしていたぶって楽しんでいる人間がいる傍、決して少なくない人数の人々がその行為への憤りを忌憚なく表明し、被害者と共に闘おうと手を差し伸べているのを見ると本当に救われます。

 

差別的・攻撃的コンテンツの衰退

精神病患者・(知的)障害者や同性愛者を揶揄したスラングを多用したり、一般人の個人情報を侮辱的なあだ名やデマとともに拡散しおもちゃにしたりするという文化が残念ながらニコニコ動画界隈などネットの一部ではもてはやされ、嬉々としてその流れに乗る人は少なくありません(興味ある方は「ハセカラ」とか「淫夢」で検索してみてください)。しかし、その勢いは明らかに衰えてきており、今なおそのネタで盛り上がっているのは寒い、いい加減しつこい、そんなのは分別のつかない子供がやることだ、といった批判の声が上がっているのを見る機会も増えました。

面白くないからやめようぜ、というのは結局のところ倫理観に基づいていなくて、根本的な解決になっていないじゃないか、と言われてしまえばそれまでですが、それでも誰かを踏みつけてはじめて成り立つ笑いは程度が低い、という認識が若い人を中心に広がっただけでも喜ばしいことです。それに、そうやって他人をコケにする笑いを大っぴらに楽しむのって人としてどうなのか、いじめと同じではないか、といった意見も少なからず見かけるようになりました。

恥ずかしながら私自身にも、その類の掲示板や動画のネタを嬉々として消費していた時期がありました。それこそ一日中見るレベルでです。これが最高のお笑いだ、これなしでは生きていけない、というくらいに。「面白いんだからいいじゃん」を免罪符に、それらのコンテンツで覚えた差別的な言い回しをあちこちで得意げに使っていたように思います。

しかしあるときこの「人を踏むお笑いのあり方」に違和感を覚え、それらの一切を断つようにしてみました。そうするとあっという間に毎日がつまらなくなったかというと、全然そんなことはありませんでした。むしろ、いろんなパターンのお笑いに触れることができ、今まで親しんできたワンパターンなお笑いよりずっと面白いと感じました。

誰かを踏みつけてはじめて成り立つお笑いにお腹を抱えて大笑いしている人たち、「最近は表現規制が多くて窮屈だ、皆気にしすぎだ」と苦言を呈する人たちは、いざ自分が踏まれる側になったときにも同じように笑っていられるのでしょうか。「これは表現の自由の範囲内だから問題ない」と黙ってやり過ごせるのでしょうか。

たくさんの人たちが笑っているとなりで、同じくたくさんの人たちが涙を流し、怒りに震えています。差別的・攻撃的なお笑いが衰退していけば、より多くの人たちが笑えるようになりますね。ポリコレだ何だと煙たがられても、同じお笑いならやはり踏まれる人が少ないに越したことはありません。

 

差別と暴力の歴史は、悲しいことに今も脈々と紡がれ続けています。それでも、今まで見過ごされてきた理不尽に抗う人たちがいる。暴力の犠牲となった人の手を取り、共に歩く人がいる。泣いて怒って、でも前を向いて歩いていきたいですね。明るい未来はきっとそう遠くはないと信じて。

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