知的障害者の大学進学と福祉型大学

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こんにちは。りーざ(@leeza_phoneki)です。

タイトル通りの内容です。今回はちょっと真面目なお話。

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知的障害とは

厚生労働省の定義によれば、

「1. 全般的な知的機能が同年齢の子どもと比べて明らかに遅滞し」「2. 適応機能の明らかな制限が」「3. 18歳未満に生じる」 出典:https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-004.html

ということだそうです。つまり、知的機能に先天的な制約があるために、社会生活を送るうえで支障をきたす状態を指します。先天的な障害の場合、小学校で勉強についていけない、周囲の生徒たちと円滑な人間関係を築けずトラブルを起こしがち、といった問題が目立つようになることで発覚するケースが多いようです。また、障害の程度は知能指数(IQ)によって軽度(IQ51~70)、中度(IQ36~50)、重度(IQ21~35)、最重度(IQ20まで)に分類されます(参照ページ)。人間の平均IQが100程度らしいので、そこから下方に外れている場合を指しています。言うまでもないことですがこれは脳の違いの問題なので、努力や根性でどうにかなる問題ではなく、教育の場では脳の特性に合わせた適切な指導が求められています。しかしながら、普通学校ではでそういった事情への理解が進んでいるとは言い難く、本人は一生懸命に勉強しているのに成績が上がらないことで教師や周りの生徒から「怠けている」、「頭が悪い」と勝手に決めつけられ、適切な支援の提供もなしにただ叱られる、バカにされるなどいたずらに傷つけられてしまうケースも少なくないようです。こうした問題は、健常者とのIQの差が小さく、一見しては障害とわからないことが多い軽度知的障害者によく起こってくるといいます。

知的障碍者の進路

皆さんは、知的障害者が高校(特別支援学校高等部)卒業後どのような道に進むかご存知ですか?文部科学省の調査(特別支援学校高等部(本科)卒業後の状況という表をご覧ください)によると、そのほとんどが就職や作業所通所の道を選び、大学などへの進学率はたったの0.5パーセントです。教育訓練機関等入学者という項目を見ても1.8パーセントですから、合計しても2パーセントくらいにしかなりません。このように、高校卒業後の知的障害者には「学ぶ」という選択肢はないに等しいのがわかります。普通科高校と比べると特別支援学校での指導内容も就労訓練により重きが置かれ、在学中に手に職つけて卒業後は即就職、という流れを前提として組まれています。知的障害者は養護学校を卒業したら作業所へ通うか障害者枠で就職するもの。当たり前のように、そんな風に考えられてきました。しかしこれは、真に彼ら彼女らが望み、選び取った道なのでしょうか?

学びから遠ざけられる知的障害者 〜健常者との比較〜

今や大学全入時代と言われるほどに大学進学者は増え、じつに高校卒業者の半分以上が大学進学を選んでいます。。一方で知的障害者を受け入れている日本の大学はほとんどなく、先ほどのデータと組み合わせれば、健常者が100人以上進学出来るところ知的障害者は1人しか進学できないことになります。というより、そもそも知的な遅れがない健常者だけが入学する前提になっています。それはあの難解な入学試験、履修登録などのややこしいうえに失敗が許されない手続きを自力でこなすことを求められる大学生活からして明らかでしょう。知的な遅れへの特別な支援が必要な学生の入学ははじめから想定されていないのです。それは、知的障害者に勉強はわからないし、いらない、という誤解が長らく幅を利かせていることによるのではないでしょうか。

先述したように、知的障害者には努力だけではカバーしきれない知能的制約があり、健常者と比べ学力や社会性に関わる理解力や問題解決能力の獲得、向上にどうしても限界が生じてしまうのは確かです。しかし、それは従来考えられてきたように、彼ら彼女らに学びたいという意思がないということを意味するのではないのです。「知的」障害というくらいだからどうあがいても学力は低いままだし、勉強は苦手に違いない。無理して大学など行かず、養護学校で職業訓練を受けて、卒業後はさっさと社会に出て単純労働に従事するほうが本人のためなんじゃないか。一見善意のようなそんな考えが広く支持されているように見えますし、私自身もそのように考えていました。次に紹介する記事を読むまでは。

知的障害の若者にも学びの場を。福祉型大学「カレッジ」の取り組み

[blogcard url=”https://thepage.jp/detail/20160802-00000004-wordleaf”]
これは、高等教育の場から排除され、多くの若者のように大学という就職までのモラトリアム期間を持てない知的障害の若者にも学びの場を、という理念から誕生した知的障害者のための4年制大学ともいえる福祉型大学のひとつ、「カレッジ福岡」の卒業生3名へのインタビュー記事です。その最初に紹介されている佐藤氏の「もっと勉強して、上を目指したかった」という言葉は、知的障害者に勉強など無理だという根強い偏見への力強く確かな反論です。その他の卒業生も、カレッジで4年間を過ごせたことは自身の進路を決めるうえで非常に有意義であったと語っています。

カレッジは福岡に本部を置く社会福祉法人鞍手ゆたか福祉会によって設立、運営されている福祉型大学です。福岡以外にも長崎、早稲田、北九州、久留米に展開し、社会に出る前に学びたい、様々な経験を積みたいと希望する知的障害者たちに門戸を開いています(参照:カレッジ公式特設ホームページ)。法的にはあくまで福祉施設という扱いなので厳密には大学とは言えないのですが、より高度かつ多様な事項を学べる場としては十分に機能しています。任意のテーマについて学生たちが1年間かけて取り組む研究論文という、大学の卒業論文に似たカリキュラムも実施されており、一般的な大学のように自主性を重んじた教育を行っていることがわかります。

考えたこと ~マジョリティーは声がでかい~

カレッジの画期的な取り組みに興味を持った私は、カレッジ公式が運営するブログも夢中になって何記事も読んでしまいました。ふんだんに使われた写真からは、そこの学生たちが学ぶ喜びを謳歌する様子がはっきりと伝わってきて、「知的障害者はそもそも勉強に向かないのだし、高等教育はいらない」というもっともらしい主張は健常者目線の驕った見方でしかないのだと気付かされました。この文の「知的障害者」の部分を「女性」に置き換えてみると、この主張がいかに理不尽かより強く実感していただけるかと思います。ちょうど、100年200年前の圧倒的男性優位社会で「女に学問などいらん」と声高に叫ばれ、個人の意思、能力に関係なく生まれつきの性別のために女性たちが大学進学も許されず、学ぶ権利を不当に奪われていた状況と重なるかのようです。いつの世も、優位な立場にあるマジョリティーの主張ばかりがよく通り、マイノリティーの声は当たり前のように無視されて社会はマジョリティーの都合の良いようにつくられていくものです。知的障害者を学びの場から排除しているのは彼ら彼女らの知的機能ではなく、マジョリティーたる健常者によってつくられ保たれてきた、知的障害というマイノリティー当事者の声を聞き入れない制度なのです。しかし、このようにマジョリティーのでかい声でマイノリティーの声をかき消すだけでは、なんの進歩も生まれません。多様性を切り捨てた集団が消滅に向かうのは自然界でも人間界でもよくあることですし、いろいろな生き方、在り方が受け入れられる社会の方が生きやすいに決まっています。自分の生き方の自由だって保証されるわけですからね。マジョリティー側に属しているとマイノリティーの抱える特有の問題や生きづらさに考えが及びづらいのも確かですが、幸いなことに人間には想像力がありますし、視点を変えればマジョリティーだって簡単にマイノリティーになりえます。私の場合、健常者と障害者という枠組みで見ればマジョリティーに属しているといえますが、ジェンダーの観点から見れば女性というマイノリティーに属していることになります。同じように、日本ではマジョリティーとして様々な利益を享受している日本人も、ひとたび外国で暮らせば外国人というマイノリティーとなり、マイノリティーであるが故の数々の不便や問題に直面するでしょう。想像するのです。自分がマイノリティーとなる状況を。マイノリティー側の人間だというだけでマジョリティーが当然のように享受している権利を奪われたならどう感じるかを。

「女性にも学問を」の声から女子大学が生まれ、やがて女性も男性と机を並べて同じ校舎で学ぶことができる時代になったように、「知的障害者に学びの場を」の声から生まれた福祉型大学の取り組みが広まって、最終的には知的障害者も適切な援助を受けつつ、健常者と学びの場をともにできるようになることを願います。

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