答え丸写しは「悪」なのか!? 中学受験国語を考える

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こんばんは。りーざです。

今回は、何かと非難されがちな「丸写し学習」について自身の経験をもとに書いていきたいと思います。タイトルに「中学受験国語」とありますが、なにも中学受験に限った話ではありませんので、中学受験経験者やお子さんが中学受験を控えているという方にもそうでない方にも読んで参考にしていただけると幸いです。あくまでも私が「丸写し学習」の効果を最も強く実感した具体例の一つとして参考にしてください。

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なぜ、答え丸写しがダメなのか

手を付けることなく溜め込んだ分厚いドリルに嫌気がさして、後ろについている解答冊子を丸写し……。という経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。私もそのひとりです。小学生の頃、毎日1ページずつ進めることになっている算数の問題集をサボって2週間分くらい溜めてしまい、提出間際になっていけないことと思いつつ解答ページをチラチラ見ながら慌てて空欄を埋めたことがあります。

宿題をチェックして、その子が答えを丸写ししてきたと察した先生や親は、十中八九子供をこう叱ります。「答えを丸写ししても君のためにはならないからやめなさい」と。その通りです。答えを丸写しして全問正解を得たところで、それはその子供の実力ではないし、自分の頭で考えて答えにたどり着くというプロセスを丸々すっ飛ばしているのでせっかく学んだことも身になりません。この主張自体には間違ったところはありません。

しかし、「噓つきは泥棒の始まり」と「嘘も方便」が共存しているのと同じように、時と場合によっては普段はよろしくないとされている行動が推奨されることもあるというのが世の常。「悪」とみなされている「丸写し学習」が功を奏した場面がありました。それは、中学受験国語です。

私と中学受験国語

中学受験生の頃、私の得意科目は国語でしたが、長文記述と物語文読解だけは非常に苦手で、そのふたつが中心の試験となると偏差値の十の位がひとつ下がったりもしました。試験のたびに物語文が出ないようにと祈り、当然、物語文と長文記述を好んで出題する中学は志望校候補から外さざるを得ませんでした。桜蔭中や麻布中の問題なんか合わせ技ですからね。当時問題を見て解こうとしたのですが、誇張抜きで全く分からず1文字も書けませんでした。それでも回数を重ねていくうちに最低限の書く力がついたのは、知らず知らずのうちに「丸写し学習」を正しく取り入れていたおかげなのかもしれないと気付いたのです。

当時、国語の読解、記述の勉強は母に見てもらっていました。母も課題文(と解答解説)を通して読み、問題を1問1問共同で解いていくのです。といっても、私のすることは、母の解説を聞きながら、母が提案し読み上げる模範解答を1文字ずつ解答欄に書き写すだけでした。全ての問題でこれを繰り返したら提出です。メモ書きなども一切していませんでしたし、これはまさに「丸写し」以外の何物でもないでしょう。それでも結果としては、課題文への理解が深まり、長文を書くことに慣れていきました。ではどうして、この学習方法が奏功したのか考えていきたいと思います。結果が出たからには、ただの手抜きの「丸写し」とは違うはずなのです。

・「解説付き」だった

これが一番大きいのではないでしょうか。もし母が模範解答だけを無機質に読み上げ、私はそれを写し取る、という学習をしていたなら、きっとなんの効果もなかったことでしょう。母は、10歳そこらの私と同じ目線まで降りて平易な表現を用い、分かりにくい部分は小学生にとって身近な例に置き換えるなどしてイメージしやすいように、そして表情豊かに解説してくれました。もう10年も前のことなので、具体的にどんな風だったか思い出せないのが残念でなりません。すると、とっつきにくいと思っていた課題文もなんだか親しみやすく感じられて、頭がほぐれてくるのです。たとえメモを取っていなくても、その内容は強く頭に残っていたのだと思います。

・知らなかったら考えようがない!

いくら自分で考える姿勢が大切とはいえ、知識と経験がなければ考えるという段階にたどり着くことすらできません。四則演算を知らない人が方程式を前にしても、ただの意味不明な文字や数字の羅列としてしか認識できないでしょう。それと同じで、人生経験が絶対的に少ない小学生にとって、物語文読解は完全なる未知の世界になりうるのです。たとえば異動先の所属でクレーマー対応に追われて精神を病み、うつ状態になって長期間休職している父親の苦悩を答えさせる問題や、初恋の人が自分ではなく31歳の自分の姉に会いに来たことを知った20代女性の心情を問う問題。後者は某男子校の入試問題で実際に出題されたそうです。まもなく成人する大学受験生が解くならまだしも、10年と少ししか生きてきていない小学生が独力で取り組むにはあまりにも厳しすぎます。思えば、私が当時苦戦させられたのもこの種の自分とは異なる年代の登場人物が中心となる物語文でした。精神的に幼く、人の気持ちを正しく理解できない性質があったのでなおさらでした。

母の解説が効果的だったのは、母が「先生」としてだけでなく「人生の先輩」としての役割も果たしていたからでしょう。物語の中で繰り広げられる、小学生の私には到底想像に及ばないような「大人の世界」での出来事や事情を、こういう場面で人はこういう感情になったりこういう行動を起こしたりするものなんだ、とある程度テンプレ化して分かりやすくしたうえで噛み砕いて説明してくれました。先ほどの長期休職中の父親の物語を例に使うなら、責任ある立場でありながら働くことができないときには、情けない、やりきれない気持ちになってしまうんだよ、とか。当時はそれを聞いても今一つ実感がわかず、理解できたのかできていないのかよくわからない状態でしたが、少なくともまだ体験したことのない感情やそれを引き起こす要因について知ることはできたと思っています。

そして時は流れ……

早いものであれから10年の月日が経ち、素敵なご縁があって自分の卒業した塾に通う生徒さんに家庭教師として国語を指導する機会に恵まれました(現在は諸事情により中断中です)。その生徒さんも記述が苦手とのことで苦労していたので、とても共感できました。解説のため生徒さんの教材の課題文に目を通していると、現役時代に解いた物語文にも出会って懐かしく思うと同時に、それらの物語文も新出の物語文も、当時なら難しくて手も足も出なかったであろう問題が手に取るようにわかり、非常に簡単に感じられることに気が付きました。特に事前に中学受験生向けの国語の問題を解いて対策していたというわけでもありません。このとき、物語文は経験がものを言うのだと実感しました。

そして今度は私のしてきた「丸写し学習」を伝授、つまり、平易で具体的な表現を用い順序立った解説を心掛け、そのうえで導き出した模範解答を写してもらうようにしたところ、だんだん書けるようになってきたとの感想をいただき嬉しくなりました。

まとめると

そもそもの知識自体が欠如していて、考える土台を組み立てられないときに知識を補充しつつ思考を組み立てる方法を身に着ける手段として、「丸写し学習」は一定の効果を生むのではないでしょうか。ただし、模範解答に至るまでの過程も一緒に「丸写し」しなければ意味がないのは言うまでもありません。

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